野鳥は環境のバロメーター「京都宇治隼隊」中島 愛治(なかしま あいじ)さん
昭和9年、鳥取県生まれ。
子供時代を鳥取で過ごし、就職と同時に宇治に住み始め、今日に至る。
中島さんがしていること,してきたこと
現在、「京都宇治隼隊」の代表を務めておられます。「能ある鷹は爪を隠す」をイメージに「隼隊」と名付けられました。「京都宇治隼隊」は、宇治愛鳥緑の少年団(朝霧緑の少年団)に代わり、大人も子供も参加できるより幅広い自然環境保護団体として2006年に設立されました。
お一人で機関紙「隼だより」を編集、年6回も発行。中島さんの文章は、ありのままで楽しいと評判です。みんなに喜んでもらえると嬉しいし、少しでも自然に関心を持ってもらえるようにと発行されています。
野鳥との来し方を朝日新聞に連載されたのがきっかけで、それをまとめる形で1995年に一冊の本「探鳥ノート 野鳥と語る365日」を書かれました。ここには子供時代から現在に至るまでの中島さんの野鳥に対する愛情や、野鳥を通して自然全体を思う心が存分に語られています。
子供時代には鳥取の豊な自然の中、野鳥と遊びたわむれる日々を過ごし、宇治に暮らし始めてからは個人的に野鳥観察小屋を建て、後に南部ジュニア野鳥教室を設立し、緑の少年団など数々の観察活動を行ってこられました。
中島さんが伝えたいこと
「鳥がたくさんいる所には小さな生物がいて自然は豊です。鳥は見るのではなく観察して習性を知るのが大切です。そうする事で自然全体を思うことができます。」
「野鳥は環境のバロメーター!!!」
実際に中島さんのお話は全て体験されたこと、観察されたことに基づいています。このように本当に鳥のことに精通した中島さんのもとには色々な困り事の相談が持ち込まれるそうです。
例えば「倉庫の中に大きな鳥が入り込んで出られないみたいだけど、どうしたらいいでしょうか。」とか。
この時は保護して連れ帰って面倒をみられたそうです。傷んだ鳥は奥様がお世話されます。
元気になった鳥たちは、名残を惜しんでなかなか飛び立たないとか。自分で飛び立つまでじっと待たれます。
「どうしたら傷んだ鳥を保護できるのか、命の大切さを伝えたい。」今まで救って来られた命を思うと、言葉が心にズシンと来ます。
宇治川向島ヨシ原のツバメのねぐら
中島さんの活動は多岐にわたりますが、伏見では8月に宇治川の向島ヨシ原のツバメのねぐら観察会を行われます。
この「ねぐら」は、昭和40年代、農家の方が夕方歩いていて発見されたそうです。ツバメを含む夏鳥は、繁殖のために日本に渡って来ます。「だからツバメは来るのではなく、故郷に帰って来るんです。」とおっしゃったのが印象的でした。
「京都宇治隼隊」の昨年の調査結果報告を参考にさせていただくと、多い時で8月に3万羽ほど、9月28日に全部旅立った模様と言う事です。ツバメは現在は発見当時の3分の1くらいに減ったそうです。減った理由はカラスや地球温暖化が考えられるそうです。
このねぐらには奈良や滋賀のツバメも集まって来ていて、関東からの渡りの途中の休憩所にもなっているそうです。朝、えさを捕りに行く時は、一斉に飛び立って、すぐに散ってしまうので、なかなか見れないですが、夕方には、ねぐらに帰ってくるツバメの群れが見られます。旅立つ先は東南アジアです。
これからの活動
野鳥の観察を通じて、たくさんの子供たちの心を育ててこられた中島さんですが,今後の目標は、現在までの体験、活動の全てを、もう一冊の本に仕上げて残す事だそうです。
「今は自由に遊ばせてもらっているし、結構なことですが、もっともっと仲間が増えると嬉しい。」自然とともに生きてこられた中島さんは、穏やかで幸せなお顔をされていました。
記者後記
今回は6月4日にJR宇治駅前の「ゆめりあうじ」でお話しをうかがいました。
二日後の6日には高知県の四万十方面にヤイロチョウ観察に出発される予定の忙しい中、
快くお話をして下さいました。
戦前、戦中の子供時代、戦後の高度成長期の会社員時代、平成へと激変した日本の環境を体験された中島さんのお話は、これからの私たちの暮らしに指針を与えて下さることでしょう。
今、執筆中のご本の完成を心からお待ちしております。
誠にありがとうございました。
中島さんからイベントのご案内
7月4日(土)自然観察とビデオ観賞会、7月18日(木)京都御所アオバズク観察会。詳細はこちら。