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受け継ぎ、伝える伏見の暮らし〜山本英蔵さん

 

伏見の旧市街を以前歩いた時に目にした両替町の歴史にまつわる石碑。そこには、徳川幕府によって伏見銀座が開かれたことや、町名のとおり両替商が軒を連ねたことなどが記されていました。

 

今回エコれぽ隊は、伏見の風情ある街並みが残る両替町で、能面を虫干しする時期に自宅を公開されている山本英蔵さんを訪ね、町家での暮らしや能面との関わりについてお話を伺いました。

 

明治時代の町家にて自然と調和する暮らし

山本さんから「ようこそお越しくださいました」とにこやかに迎えていただいた戸をくぐると、かつて質屋を営んでいたミセの間があった。お話の前にお茶と能面をかたどった干菓子をいただく。その心配り、温かなおもてなしに心を打たれながら、能面と町家についてお話しいただいた。

 

町家の初代当主は山本儀兵衛さん。儀兵衛さんは、山本さんの祖父栄太郎さんの祖父にあたり、両替商だけでなく材木商や薪炭商を営むなど様々な事業を行った。

 

儀兵衛さんが両替町に建てた家は、一度鳥羽伏見の戦いで焼失している。明治29年(1896年)に家が再建されたものの、間もなくして京阪電鉄の線路を通すために家の一部を取り壊されることになった。祖父の栄太郎さんから当時の様子を聞いた山本さんは「公共のためとはいえ、家の一部を失わざるを得ない状況に心を痛めただろう」と思いをめぐらす。

 

山本さんが受け継いだその町家は、「表家造り(おもてやづくり)」と呼ばれ、表通りに店舗を構え、奥に家族が暮らす母屋がある。

 

店舗棟の横に、ぱっと目を引く蔵が建てられていた。蔵が家の奥ではなく、表通りに面しているのは珍しく、京都市内にある町家でこのような建て方をしている所はほとんど見られないそうだ。「店蔵が前(表通り)にあるのは、家財道具ではなく商売の品を納める蔵として、その方が使い勝手が良かったからやろうね」

 

蔵が白い漆喰なのに対して、店舗棟は灰色がかった土壁に囲われている。浅葱(あさぎ)土で、パラリという塗りかたで、120年間塗りなおしていない貴重なものという。万が一の場合、京都市の文化財保護課が修復対応して頂けるようである。

 

店から奥へ、パブリックからプライベートへとつなぐ空間が、棕櫚竹が植えられた石敷きの通り庭だ。「娘が小さかったころ、家の中に雨が降っている、と表現しましてな。雨が落ちるからこの場所を『あまおち』と呼んでます」と懐かしみつつ、しとしとと雨が降るのを家の中から眺める風情が良いので、そのまま今に残しているそうだ。

 

このように、山本さんはなるべく手を入れずに、昔のままの家の造りや暮らしを大切にしている。夏になれば畳の上に籐の敷物を引き、建具を入れ替える。祖父である栄太郎さんがしてきたことを受け継いできた山本さんだが、今では息子さんやお孫さんがこうした「町家の衣替え」を担い、しつらえを変えている。「建具の入れ替えにも順番があってね。自分もそうだったけれど、自分でやってみて初めて身につく」。受け継ぐだけでなく、次の世代に伝えていることで伝統は続くのだろう。

 

「エアコンも使うけれど、しつらえを変えたら風通しも良いし、見た目にも涼しいしね」と山本さんは語る。それはまさに、自然との調和を大切にするエコな暮らしだ。

 

平成24年、山本さんの自宅は「市民が残したい“京都を彩る建物や庭園”リスト」のうち特に価値が高い建物として認定された。山本さんはその認定を受けてなお、伏見らしい街並みを残す家を「失くしてはいけない建物」だという思いを強くした。

 

 

祖父が伝え残した能と能面

母屋では、70ほどの能面がずらりと並んでいた。これらは全て山本さんの祖父栄太郎さんが手がけた作品である。

 

能は、室町時代に観阿弥、世阿弥が芸術性を高めて能を大成し、現代までその様式が受け継がれている。御香宮神社においても約600年にわたって神能が奉納されている。

 

山本家は代々御香宮神社の総代を務めている。祖父の栄太郎さんが御香宮神社の神能講の役員であった時、能面を見る機会があり「自分も能面を作れるんじゃないかな」と興味を持ったそうだ。当時能面を習う教室などはなく、独学で学ぶうちに、やがて古い能面を持つ人々から修繕を頼まれるようになった。持ち主から修繕時に預かる古面を複製することが許されると、栄太郎さんはもう一つ能面を作っていった。その数ざっと1000。それだけの数の能面を二十歳の頃から八十歳頃まで作り続けたのだそうだ。

 

能面は「古面を写す」という形で作られ、昔の面を寸分たがわず写すことを良しとする。能面の木を掘り(「面を打つ」と言う)、色を付け、髪や眉を描き、磨きあげるなど、ひとつひとつの作業に丁寧さと根気が求められる工程の中で、栄太郎さんは何より面のつや出しに苦心されたそうだ。栄太郎さんが作った能面はどれもつややかで、豊かな表情をしていた。

 

栄太郎さんが面を打つ姿を見て来た山本さん自身も仕舞の先生として、地元南浜学区の子どもたちに御香宮神能会の役員たちと共に指導している。山本さんにとって能は「三間四方(約6m×6m)の舞台に松の絵があるだけで役者も扇しか持たない。その極限に簡素化された舞の演目を聴きながら想像して鑑賞するところ」が魅力だと語る。

 

 

幾世代にわたって受け継がれる家族の歴史、両替町での暮らし

「おじいちゃん子だったんですよ」と山本英蔵さん。山本さんは栄太郎さんから季節に応じた暮らしの作法を伝えられた。それはきっと、栄太郎さんが祖父の儀兵衛さんから伝えられてきたことでもあったのだろう。

 

明治から平成へと時代が過ぎ行く中「変化が激しく、元は家だった場所が空き地や駐車場に変わっていくのをみると、生まれ育った家にいることができることのありがたさを感じます」と山本さんは語る。そして「子どもや孫が家を大事にし、能面の虫干しなども一緒に手伝ってくれるのがうれしい」と話す。その時の山本さんの眼差しは本当に優しく、息子さんやお孫さんへの愛情にあふれていた。

 

能面が古面を写すのが良しとされているように、町家での暮らしも先人からの知恵を守って暮らすのが理にかなっているのかもしれない。山本さんは栄太郎さんからの言い伝えを守り、先祖とのつながりをしっかりと受け止めて、息子さんやお孫さんなど次世代に家の歴史のバトンをつなげている。

 

 

基本情報

参考:市民が残したい“京都を彩る建物や庭園”リスト

HP:http://kyoto-irodoru.com/irodoru.html

 

問合せ:伏見区文化協議会(事務局 伏見区役所地域力推進室 まちづくり推進担当 ℡075-611-1144)

 

エコれぽ隊:亀村佳都、長澤昌代、山本照美、輪形成継

取材日:平成27年11月

 

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