向島、横大路にある一軒家で夫婦仲良く働くもち米農家 中村光宏さん
■もち米(農家自己紹介、伏見の場所について)
向島、横大路にある一軒家で夫婦仲良く働くもち米農家。それが今回紹介する中村光宏さんだ。
中村家は10代目の老舗で、3人家族である。中村さんは伏見に生まれ、伏見で育ってこられた。
滋賀羽二重餅というもち米を生産し、すべてお餅にして販売しておられる。京都でもち米からお餅まで、全て自分で生産している人は珍しく、中村さんはそのうちの一人である。
伏見の水や肥沃な土はもち米作りに適していて、食べさせて頂いたお餅は弾力が通常のものと異なり、とにかく美味しかった。
■ 元気の源とは?(中村さん夫妻の人柄)
中村さんはとにかく元気で活力のある方である。京都でもち米からお餅まで、全てを自分で生産している農家さんは少ない。
そういった、人と違うことに挑戦することが楽しく、元気の源であると仰る。
そこに惹かれて奥さんは結婚されたそうだ。
また、自分のもち米が売れなければ、他のもち米は売れないと仰るほど自分のもち米に自信を持っておられる。
それだけ自分の商品づくりに努力を惜しまれない証拠である。自分のもので世の中に勝負することが男のロマンと仰っている。
「気迫、個性、努力」、これが中村さんの考える自分を言い表す言葉である。
この言葉からも中村さんの元気さが伺える。
そのなかでも個性をもっとも大事にされている。
「愛」。これが奥さんの考える自分を言い表す言葉である。
奥さんはいつもカメラを持っておられる。
それぞれの場面は一瞬しかないから家族の笑顔を残しておきたいそうである。
家庭や家族を大切にしておられることが伝わる。
このようにして夫婦二人三脚でもち米作りをして、周りの人を笑顔にしてこられたのである。
■「ひかり餅」として勝負(なぜもち米を販売?)
もともと米農家であったが、中村さんの代からお餅を販売されるようになった。
当初は、4代前が太平衛さんという名前であったので、太平衛餅として販売しておられた。
ところが、7年ほど前に仕事が手につかなくなる時期があった。
田仕事、販売先の確保、祭事などやるべきことが重なりプレッシャーになったのが原因で、その時はお餅を売る気にもなれなかったそうである。
しかし、やはり自分はお餅にこだわりたいと思い、一年ほど療養した後に復活。
助けてくれたのは周りの方々だった。
そして、自分のお餅が一番おいしいと自信を持ち、自分が付けた名前で勝負しようと思い、ひかり餅に変更された。
そして、農産物直売所や教育現場、有名百貨店などで販売や餅つきをして活躍しておられる。
■―土からの農業とは(エコについて)
「安全、安心、健康」が中村さんの考えるエコである。
できるだけ土の栄養で育てていきたいと仰る。そのような点から、エコファーマーにも選ばれている。
土を作るところからするのが農業と仰る。
土の成分を考えたり、肥料作りや肥料をまくタイミングなどを試行錯誤するのが楽しいそうである。
また、良いもち米を作るには、土の勉強を始めて10年かかるそうだ。ちなみに、今年のお餅は最高のできだそうである。
■お餅のこれから(今後の展望)
息子さんに後継ぎになってもらうことが中村さんの最終目標である。
息子さんも興味を持っておられて、実際に仕事の手伝いをしていらっしゃる。
目の前の目標は、家を改造してその場でできたてのお餅を食べてもらうことである。
法人化も視野に入れておられる。
そうやって、お餅=年配の方が食べるというイメージを払拭して、より多くの人、特に若者にも普段から気軽にお餅を食べもらえるように努めていきたいと仰る。
■記者
同志社大学2014年度プロジェクト科目 京都伏見大学プロジェクト~「学び」で観光の質向上を~ 記者:為國凌、田中雅巳(活動期間:2014年4月1日~2015年3月31日)