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環境都市KYOTOを世界ブランドに!芳賀徹也さん

 

自身のお住まいの醍醐地域でエコの推進活動に取り組む芳賀さん。

彼の熱心さの源泉を語ってもらった。

 

 

思い出の土地、京都で・・・

芳賀さんは、自身のお住まいの醍醐地域への強い愛と熱意を持っている。彼の新潟県の出身だ。父親、自身共に転勤の多い仕事で、新潟県をはじめ関東各地を転々、人生をふりかえると京都が最長になったと語る。

 

「実は、京都は新婚旅行を4泊6日(夜行往復)過ごした地なのです。30代前半の若いとき、裏千家淡交会青年部部長に梯子を昇らされ、会議や行事で、上京する機会が多かったのです。気がついたら京都に魅せられ、年金生活は京都に在住観光しょうと、憧れを抱いたのです」

 

 

京都議定書をきっかけに、環境問題に取り組む

環境問題については、「京都議定書誕生後に京都に移り、環境関連の講演会、シンポなど数多参加し、地球温暖化防止の必要性を強く意識づけられました」と語るように、大変熱心に勉強されたという。

 

芳賀さんは、京都市がゴミ袋有料化を実施した翌2007年、京都市環境局嘱託職員(ごみ減量推進アドバイザー)として勤務、山科区13学区、醍醐地域10学区を担当するため、山科まち美化事務所に配属されたという。

 

任務はゴミ袋有料化後の市民とのパイプ役、使用済み天ぷら油の回収、コミュニテイ回収の拠点づくり、地域ごみ減量推進会議の立ち上げ、ごみ減量、分別の啓発、各種助成金のPRなどだった。

 

現役時代は、「営業が長く、環境の“か”の字のない生活だったので、講演会などで聴く言葉を、この上なく新鮮に吸収した」と語る。

 

「京都に移住して最初に出合った仕事が、奇しくも京都市が女性会向けに実施した「エコバッグ」のアンケート。割りふられた嵯峨嵐山地区の女性会員宅を訪問し、<しまつ><もったいない>というナマの言葉を教えられ感動した」という。アンケートのために配布した<バッグ>の現物は宝物として大事にしているという。

 

 

思い出のまち、環境都市KYOTOを世界ブランドに!

では芳賀さんが環境問題に熱心に取り組むことになったきっかけは何だろう?芳賀さんはこう答える。

 

 「敢えてナゼに応えると、<京都議定書誕生の地><DO YOU KYOTO><環境モデル都市><地球温暖化防止>というテーマにそった活動をしようと思ったことです。地球が熱病に罹っていると真剣に考えるようになりました。

 

かけがえのない財産(地球)を、次世代のこどもたちにバトンタッチするため、我々大人たちが、ライフスタイルを変えなければならないと思っています。

 

環境面で<KYOTO>は世界のブランドです。ブランドを活かし、<世界に京都があってよかった><環境と観光のコラボ>で、国内外から1億人の環境客誘致をしようと、ラッパを吹いて笑われています。これからは、地域のタカラである子どもも交えたエコ活動をやっていきたい。

 

例えば子どもが主役の環境の会(団体)を創れないか、と考えています。まずは地元から、そのためには仲間が必要です。いろんな場面に顔をだし、思いの丈を語っている段階ですね」

 

このように熱意を語る芳賀さん。今後の芳賀さんの活動に注目だ。

 

(文責:タニリョウジ)

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